令和8年8月26日の中央社会保険医療協議会(中医協)総会(第655回)で、費用対効果評価専門組織が2品目の評価案を報告しました。対象は、アルツハイマー病治療薬「ケサンラ点滴静注」と肥満症治療薬「ゼップバウンド皮下注」です。評価案は薬価の見直しにつながるため、医療機関や薬局は結果と根拠を正しく押さえる必要があります。本号では、2品目の評価結果と、ケサンラの価格調整で議論された「分析の立場」をわかりやすく解説します。
今回の評価案では、ケサンラが一部の患者集団で価格調整の対象となり、ゼップバウンドは価格が維持される見込みです。ケサンラは、MMSE20〜21点の患者集団でICERが1,000万円/QALY以上となり、この集団に限り価格が引き下げられます。ゼップバウンドは、ICERが200万円/QALY未満となり、価格調整係数1.0(調整なし)と評価されました。ケサンラの価格調整には、介護費用を含めない「公的医療の立場」の結果を使うことが事務局から提案されました。
前提:費用対効果評価とは
費用対効果評価とは、高額な医薬品の「価格に見合う効果があるか」を検証し、薬価を調整する仕組みです。評価は、既存の治療(比較対照技術)と比べて、追加でかかる費用と追加で得られる効果を比べて行います。
この比較の物差しが、ICERとQALYです。QALY(質調整生存年)は、生存期間を生活の質(QOL値、0〜1)で重み付けした効果の単位です。たとえば、QOL値0.5で2年生きることは1QALYに相当します。ICER(増分費用効果比)は、1QALYを追加で得るためにかかる追加費用です。ICERが高いほど「費用に比べて効果が小さい」と判断され、価格の引下げ幅が大きくなります。
1. ケサンラ:MMSE20〜21点の集団で価格引下げ
ケサンラ(一般名:ドナネマブ)は、MMSE20〜21点の患者集団に限り、費用対効果が悪いと評価されました。MMSE(ミニメンタルステート検査)は、認知機能を30点満点で測る検査で、点数が低いほど症状が進んでいます。以下では、評価結果、価格調整の計算、専門組織での主な論点の順に説明します。
評価結果
ケサンラの評価では、対象患者をMMSEスコアで2つの集団に分けて分析しました。
集団(a):MMSE22〜28点の患者
比較対照技術:レカネマブ(レケンビ)+非薬物療法±ドネペジル
ICERの区分:費用削減
患者割合:79.6%
集団(b):MMSE20〜21点の患者
比較対照技術:非薬物療法±ドネペジル
ICERの区分:1,000万円/QALY以上
患者割合:20.4%
集団(a)は、ICERの区分が「費用削減」とされています。ただし、レケンビと比べて健康アウトカムの改善が示されなかったため、費用効果分析は行われていません。この集団には特例ルールを適用せず、通常の薬価算定基準に基づき価格調整係数1.0(引下げなし)とされました。集団(b)は、ICERが1,000万円/QALY以上となり、価格調整の対象となりました。
ケサンラの基本データは次のとおりです。
収載時価格:66,948円(350mg20mL 1瓶)
有用性系加算率:5%
ピーク時市場規模予測:796億円(H1区分:市場規模100億円以上)
製造販売業者:日本イーライリリー株式会社
価格調整の計算
ケサンラの価格調整には、レケンビと同じ特例ルールが使われます。このルールは、令和6年11月13日の中医協総会で、高額な認知症薬に適用すると決められたものです。特例ルールの内容は、次の2点です。
調整額:「ICERが500万円/QALYとなる価格」と「見直し前の価格」の差額の25%
下限:調整後の価格は、価格全体の85%を下回らない
この特例ルールを集団(b)に当てはめると、次の価格になります。
公的医療の立場
ICERが500万円/QALYとなる価格:15,315円
価格調整を適用した場合の価格:54,040円
公的医療・介護の立場
ICERが500万円/QALYとなる価格:15,669円
価格調整を適用した場合の価格:54,128円
公的医療の立場での計算は、次のとおりです。
差額:66,948円 − 15,315円 = 51,633円
調整額:51,633円 × 25% ≒ 12,908円
調整後の価格:66,948円 − 12,908円 = 54,040円
54,040円は、集団(b)だけに当てはめた計算上の価格であり、改定後の薬価そのものではありません。費用対効果評価では通常、集団ごとの価格を患者割合で加重して最終的な価格を決めます。この方法で集団(a)79.6%を66,948円、集団(b)20.4%を54,040円として加重すると、約64,300円(約4%の引下げ)となります。この数字は資料に記載されたものではなく、筆者の試算です。正式な改定後の薬価は、告示で確認してください。
専門組織での主な論点
専門組織の主な論点は、ケサンラの効果をどこまで長く、どこまで大きく見積もるかでした。公的分析(国立保健医療科学院の分析班)は、企業の設定を次のように見直しました。
投与終了後の効果
企業の設定:1.5年の治療後、6年間完全に維持し、その後10.5年かけて減弱(治療期間を含め計18年持続)
公的分析の設定:投与終了後は効果なし(ハザード比1)
有害事象で中止した後の効果
企業の設定:6か月間完全に維持し、その後2.5年かけて減弱
公的分析の設定:効果の持続を設定しない
MMSE20〜21点集団の進行抑制効果
企業の設定:同集団のサブグループ解析の値
公的分析の設定:全体集団の値(ハザード比0.623)
中等度から重度への進行抑制効果
企業の設定:抑制効果あり
公的分析の設定:観察データがないため効果なし(ハザード比1)
重度認知症の介護者QOL値
企業の設定:0.320(ビニエット調査)
公的分析の設定:レケンビの評価で使った先行研究の値
患者の死後の介護者QOL低下
企業の設定:死後約半年間、QOL値が低下
公的分析の設定:設定しない
患者割合(集団(a):集団(b))
企業の設定:87.1%:12.9%(米国FDAの指示で行った追加試験)
公的分析の設定:当初はNDB解析で77.18%:22.82%。企業が全例調査の結果を提出した後の追加分析で、最終的に79.6%:20.4%
このうち効果の長期持続について、企業は反論しました。企業は「第3相試験で実データがある期間は、一定の効果を認めるべき」と主張しました。専門組織は、投与開始後18か月以降のハザード比の分析に必要なデータと、全例調査のMMSEデータを提出するよう企業に求めました。企業はデータの一部を提出しました。しかし、18〜36か月のハザード比の分析に必要なデータは提出されませんでした。
専門組織は最終的に、公的分析の結果を妥当と結論づけました。主な理由は、次の3点です。
MMSE20〜21点集団の方が効果が大きいという企業の解析は、臨床的な実感に反する
集団間でハザード比の95%信頼区間がほぼ重なり、効果に差があるとはいえない
企業が提出したデータは、アミロイドを除去できた患者が実薬群となり、効果を過大評価するおそれがある
ただし専門組織は、公的分析の設定が「保守的」である点にも注意が必要だと付け加えています。
2. ゼップバウンド:ICER200万円/QALY未満で価格据え置き
ゼップバウンド(一般名:チルゼパチド)は、費用対効果が良好と評価され、価格は維持される見込みです。以下では、ケサンラと同じく、評価結果、価格調整、専門組織での主な論点の順に説明します。
評価結果
ゼップバウンドの評価では、肥満症患者全体をひとつの集団として分析しました。
対象集団:肥満症患者
比較対照技術:セマグルチド(ウゴービ)+食事療法・運動療法
ICERの区分:200万円/QALY未満
患者割合:100%
ゼップバウンドの基本データは次のとおりです。
収載時価格:3,067円(2.5mg)〜11,242円(15mg)、1キットあたり
有用性系加算率:0%
ピーク時市場規模予測:319億円(H1区分:市場規模100億円以上)
製造販売業者:日本イーライリリー株式会社
価格調整
ゼップバウンドの価格調整係数は1.0で、価格は引き下げられません。ゼップバウンドは原価計算方式(開示率が低いもの)で算定された医薬品です。ICERが200万円/QALY未満と評価されたため、この区分の価格調整係数(θ)は1.0となりました。
専門組織での主な論点
専門組織の主な論点は、実臨床の使われ方をモデルにどう反映するかでした。公的分析は、企業の設定を次のように見直しました。
用量
企業の設定:維持用量10mgのみ
公的分析の設定:5mg・10mg・15mgの使用人数比で按分(NDBで10mg超の使用が半数以上)
セマグルチドとの効果差
企業の設定:15mgとの比較結果を10mgの分析にも流用
公的分析の設定:用量ごとの間接比較(MAIC)の結果を使用
2型糖尿病の割合
企業の設定:医師アンケートに基づく値
公的分析の設定:NDB解析による10.6%
BMI別QOL値
企業の設定:独自のビニエット調査の値(BMI35以上で0.317)
公的分析の設定:ウゴービの評価と同じ設定
睡眠時無呼吸症候群(OSA)の発症
企業の設定:両剤で発症率に差あり
公的分析の設定:両剤で差を設定しない
企業はこれらの見直しに同意していません。それでも企業は、結論が自社の分析結果と一致したことを認めています。
専門組織は、公的分析の結果を妥当と結論づけました。とくに、BMI35以上のQOL値0.317は低すぎると判断し、ウゴービで採用した値を使うのが妥当としました。なお、OSAについては、最適使用推進ガイドラインでOSAと肥満症の適応が異なる点を改めて検討する必要があるとの意見も出ています。
3. ケサンラの分析の立場:「公的医療の立場」を採用へ
事務局は、ケサンラの価格調整に「公的医療の立場」の結果を使うことを提案しました。この提案は、レケンビと同じ取扱いです。以下では、2つの立場の違い、提案の理由、これまでの議論の経緯を説明します。
2つの分析の立場
分析の立場とは、費用としてどこまでを数えるかの範囲です。
公的医療の立場:公的医療保険で支払う費用だけを数える
公的医療・介護の立場:公的医療保険の費用に加えて、公的介護保険の費用も数える
費用対効果評価の分析ガイドライン(2026年度版)は、「公的医療の立場」を基本としています。ただし高額な認知症薬では、令和6年11月13日の中医協総会の決定により、両方の立場で評価案を作り、総会でどちらを使うか決めることになっています。
今回のケサンラでは、2つの立場の結果に大きな差はありません。集団(b)の調整後価格は、公的医療の立場で54,040円、公的医療・介護の立場で54,128円です。集団(a)では、健康アウトカムの改善が示されなかったため、公的医療・介護の立場の分析自体が行われていません。
提案の理由
事務局が「公的医療の立場」を提案した理由は、介護費用の分析手法がまだ確立していないためです。レケンビの評価を通じて、次の2つの課題が明らかになりました。
介護費用は、病態の推移や要介護度別の介護費用などから推計するしかない
「介護負担の軽減で得られるQALY」の計算方法には、学術的なコンセンサスがない
令和8年度の制度改革でも、介護費用は引き続き研究し、価格調整への活用は引き続き議論するとされました。そのため事務局は、レケンビと同様に「公的医療の立場」を採用するのが妥当と判断しました。資料は事務局の提案であり、総会での最終決定は議事録等で確認してください。
これまでの議論の経緯
介護費用の取扱いは、制度の導入時から「引き続き検討」とされてきました。
平成31年2月(制度骨子):介護費用を含む分析は提出できるが、価格調整には使わない
令和3年12月(令和4年度改革):研究班で研究を続け、その進捗を踏まえて検討する
令和5年12月(令和6年度改革):レケンビの特例的な取扱いも踏まえ、引き続き議論する
令和7年8月(レケンビの価格調整):「公的医療の立場」の結果に基づき価格調整する
令和7年12月(令和8年度改革):研究と事例の集積を続け、価格調整への活用は引き続き議論する
令和8年度改革の骨子は、介護費用の取扱いを「医療保険制度の基本的な考え方に関わる問題」と位置づけています。今後も、費用対効果評価専門部会で議論が続く見込みです。
まとめ:第655回総会のポイント
第655回総会では、ケサンラとゼップバウンドの費用対効果評価案が報告されました。
ケサンラは、MMSE20〜21点の集団(患者の20.4%)でICERが1,000万円/QALY以上となり、この集団に限り価格が引き下げられます。
ゼップバウンドは、ICERが200万円/QALY未満となり、価格は維持されます。
ケサンラの価格調整には、介護費用の分析手法が未確立であることから、レケンビと同様に「公的医療の立場」の結果を使うことが提案されました。
ケサンラの評価では、効果の長期持続を見込むかどうかが、価格を大きく左右しました。今後の高額医薬品の評価でも、臨床試験の期間を超えた効果をどう扱うかが重要な論点になります。詳細な分析内容は、国立保健医療科学院が公表する報告書で確認できます。










